2024年12月27日
今から約30年前、社会人になりたての頃に上司から“社会人のルールとして野球と政治と宗教の話は取引先としてはいけない”と教わった記憶があります。それぞれ、良い悪いではなくお互い熱狂的・妄信的になりがちな事柄であるため自分と異なるチーム・政党・信条であるとビジネスとは関係ない所で嫌われてしまうということらしいのです。しかし、数年前に私が一筆参上に思いがけず記載したのは、実家である寺の事情という宗教のど真ん中“タブーその①”でした。そして今回は“タブーその②”として野球に関してです。
私は、生まれも育ちも愛知県、夜テレビをつければやっているのは中日戦のナイター、中日新聞が幅を利かせ、各民放局がドラゴンズ応援番組を放送する地域でドラゴンズファンにならない理由はありませんでした。小学生の頃は、土曜日の夕方仕事が終わった父親と待ち合わせ名鉄電車で当時のナゴヤ球場のナイターによく行っていました。薄暮からカクテル光線の照明が灯る、土と芝生の球場独特の雰囲気が大好きで、勝っても負けても楽しかったのをよく覚えています。当時特に好きだったのは小松辰雄投手と田尾安志選手でした。速球派でスピードガンの申し子と言われた小松辰雄が投げた後、1球ごとにライトスタンド上段(うろ覚えですが)にあったスピードガン電光掲示板をみて歓声をあげていました。田尾安志はイチロー(同じ愛知出身で同じ学年になります)が好きな選手に挙げるように当時の東海地方の男子小学生にとってあこがれの選手でした。首位打者争いしていた長崎選手(当時大洋)との最終戦で5打席敬遠され敬遠の球を振りに行ったのを覚えています。他にも、堂上兄弟が入団した時、あのジャンボ堂上(堂上照)の息子かと時の流れの速さに驚いたり、インターネットで映画“バック・トュ・ザ・フューチャー2でマーティンがデロリアンで時間移動した1985年から2015年まで山本昌が現役であったことを知ったりと、個性的な選手が多かったように思います。
拙い文章を長々と書きましたが、忙しい毎日にかこつけてあの頃のように熱中することが今は特に無く、休日は疲れて寝ているなと書きながら顧みています。
水頭英樹